Papa was a charan poran

Poetic running and something

悩み多き年頃

9月12日(水) 曇り

早めに帰ったので、夕食後1時間待って21時ちょっと前、夜ランにでかけた。

 

月火水と出勤して、気分が滅入ってきたので走らずにはいられない気分だったのである。

 

ゆっくり目に、心と体を整えながら走る。

 

 いつだったか息子にプレゼントしてやった本。

 

長谷部のベストセラー本の影響か、「心を整える」のが出版界ではやっているらしい。

 

先日、書店に行ったら、心を整えるランニングという本もあった。

 

心を整えるランニング

心を整えるランニング

 

 

マインドフルネスとランニングを結びつける、などというのは、まあ、敢えて語るまでもないような気がするな・・・

 

ちょうど21時になる頃、公園には撤収していく部活生たち、まだ歩いている人もちらほら。

 

気持ちのいいランだった。このペースでサブフォーを走りきれたら、さぞ気持ちがいいことだろう。

 

9月13日(木)

朝、どうしても出勤する気になれず、出勤を考えると頭が痛くなる。

 

会議もないし、今日は自宅で作業することにした。

 

翻訳作業に没頭。自分の論文や書類を書くのと違って、翻訳は文章を組み立てる必要がないから没頭できる。

 

頭もスッキリしてきたので、夕方走りに出かけた。昨夜と同じで、心を整えることを念頭に置きながら。

 

前の土日と違って、気温も下がり、明日からは雨になるらしい。もう暑さは帰ってこないのかもしれない。

 

まだ聞こえている蝉の声も、ツクツクボーシにヒグラシと、初秋の夕暮を感じさせる。ヒグラシの声を聴くと思い出すのは、山口県にある母方の祖父の家だ。子供の頃、自分の馴染みのある一番の田舎らしい田舎といえば、徳山市の鹿野であった。私の両親が育った地域で、小さい頃はよく行った。親戚の家を回ると、食肉用なのか、猪を何頭も飼っている家があったり、いたるところに田んぼと山と川が目に入る、絵に描いたような里山の景色であった。

 

今、祖父の家は空き家になって何年も経つ。人が住んでいないと家というのはどんどん朽ちていくから、それが口惜しい。もう一度住むためには、大幅なリフォームか、建直しが必要になるだろう。

 

最近は、そこに移住して翻訳をして生活する白昼夢を頻繁に見るようになった。

 

愛知に住む父の体もどんどん動かなくなってきている。私の年代の研究者たちも、親の介護や葬式を経験するようになってきた。不安定な職についている私たちの世代には、親の面倒を見たくても先立つものがなく、頭が痛い。

 

近い内に決断しないといけない。