Papa was a charan poran

Poetic running and something

東京マラソン出走記録(2):苦しいレース

 

(承前)

スタート号砲からスタートラインまでは、数分ぐらいだろうか。みんな手を振ったりしているが、私はテレビに映りたくない(職場の人に見つかりたくない)ので、うつむきがちに走る。マーティー・フリードマンを生で見た。

 

初めての経験だが、知らない人たちの歓声の中というのは、とても居心地が悪い。平常心を保つのが難しい。東京マラソンは高速レースというだけあって、初めは下り道が続く。自分のペースを守ろうと思いながらも、前に人がいるとつい鬱陶しいので抜かしに行ってしまう。それで最初の方はかなりUFOのような走り方になった。

 

しかし、アドレナリンのせいか、このときは全然体力の心配がない。そればかりか、このペースならサブ3.5は確実にいけるな、と確信した。

 

雨は強くなったり弱くなったりだが、ポンチョを脱ごうと思うほど体が温まるには、少し時間がかかった。セオリー通り、5kmぐらいのところ、市ヶ谷から隅田川沿いに入ったところでポンチョを捨てた。律儀な私は、ちゃんとゴミ袋の係の人のところまで待って、ゴミ袋に入れた。レースとはいえ、路上にゴミを捨てるのは性に合わない。今回は全てゴミはゴミ袋へ、紙コップは紙コップのゴミ箱へ投入した。アホみたいだけど。

 

しかし、時折強風が吹くと、ポンチョを捨てたことを後悔する。ほとんどの人はポンチョを着ないで、とくに白人の人たちはかなりの薄着で走っているが、寒い!!

 

外堀通りのあたりだろうか。一度トイレに行こうとするが、普通の公衆トイレで、4人ほど並んでいたのでパス。まだ我慢できるし、周りのペースも早いので気持ちが焦る。普段、10kmまでは補給なしでいけるし、20kmでも水だけで大丈夫なので、給水も10kmまでは寄らない。

 

自分がどこを走っているかもわからないので、どこだったかわからないが、レース中、トイレは3回行った。最初の1回は、スタート待ちで溜まっていた分として、なぜそんなに尿が出たのかわからない。寒さのせいか、それとも普段飲まない栄養ドリンクやらを飲んだせいか。

 

一度目のトイレを終えて、さあスッキリしたぞ、と人を抜かしながら走り続けていると、前方に3時間半ペースランナーが見えた。いままで、サブ3.5以下で走ってたってこと?結構飛ばしてるのに?ここで焦る。

 

しばらく、ペースランナーを追走するが、この後を行っていたら、これ以上のトイレ休憩はできない。貯金を作っておくために、抜かして行きたいのだが、ペースランナーについていく人たちで道が塞がれており、なかなか前に出られない。これがかなりのストレス。罵倒したくなるのを抑えて、なんとか前に出る。

 

このときまでは、まだ体力があったんだな。

 

あれは、なぜなんだろう。ふと気がつくと、しんどくなっていた。疲れて、2回目のトイレ。トイレで止まったついでに、おやつを食べればいいのに、焦って立ち止まることができない。手がかじかんで、走りながらマルチポケットのどこかから電解質タブレットを取り出すこともできない。立ち止まる気持ちの余裕のなさから、補給もせずに走り続け、そのうち足がつるのではと不安になる。マグネシウムを摂らなければ。

 

姿勢と腕の振りだけは気をつけるのだが、カメラポイントでポーズをとる余裕もなく。

 

気がついたら、どんどん抜かされている。2回目のトイレに入った時、ペースランナーに抜かされたのだろうか。前方にまたペースランナーの風船が見えてきて、さすがにサブ3組ではないだろうと思ったが、案の定サブ3.5組だった。数十メートル後ろまでは追いついたが、それが限界だった。

 

あとで知ったことだが、大迫選手が寒さで動けなくなり棄権したという。それほど、寒かったのである。ウェアは濡れているし、手はかじかんで、タイトなマルチポケットパンツのポケットから物を取り出すこともままならない。YURENIKUIにしておけばよかったと後悔した。

 

ペースを落として、息を整えようとするが、スピードを落とせば落とすほど、体が凍りつくように動かなくなるのがわかる。

 

そして、ついに歩いてしまった。どの地点だったかもわからない。写真をとる余裕もなく。歩きながら、これが自分の限界かと悟る。ここまできても、全然元気に走っていくひとたちがいる。なぜなんだと原因を考える。前半飛ばしすぎたのか、普段摂らない砂糖の多いものを摂りすぎたのか、それとも低血糖になったのか?

 

このまま、歩き続けるのか、リタイアするのか?もし、ここで係の人が暖かいタオルをかけてリタイアを勧めてくれたら、簡単にリタイアしたことだろう。

 

とにかく休みたいが、応援の人目が多いのでここで立ち止まって「頑張れ〜」などと言われたら死んでしまいそうだ。頑張れないから歩いてんだよ。逃げるようにトイレに入る。おしっこは少しだけ。ここで腹巻きとシャツを整えたいが、指がかじかんでそれもちゃんとできないまま、また歩き出す。応援してくれる人に目も合わせられない。ふらついている気がする。

 

かろうじて、電解質タブレットをかじることはできた。少し歩いて、また走り出す。もう、ただ早く解放されたい、それしか頭になかった。サブ3.5を諦めたことで、気持ち的には少し楽になったが、今度はサブ4だけは死守したいという欲が出てきた。

 

糖分を摂りすぎて低血糖になったのではないかという懸念はあるものの、アミノ酸をとるために、持ってきたジェルを食べる。羊羹も食べる。20kmすぎから、股関節の筋肉痛。ハムストリングの筋肉痛。足底も痛い。しかし歩いていても全然ゴールに近づかないので、もう我慢して走るしかない。怪我をしているわけではないので、ただ我慢して走りさえすれば、解放される。そう言い聞かせて走る。

 

しかし、極限の状況で、自分は何と折れやすいのだろうと思う。30km近くなってくると、歩く人、立ち止まって脚を押さえる人、しゃがみこむ人などが目立ってくる。そういう人を見てしまうと、自分もここで折れてもいいんだという安心感が出て、途端に歩いてしまう。実際、自分が歩き出すと、自分を抜いた後に歩いてしまう人が出てくる。

 

これはいかん。自分に甘いだけではないか。そしてまた走り出す。38kmぐらいまでは、まだ7kmもある、まだ5kmもあると思うと気持ちが萎えたが、38kmを過ぎると、確かに1km、1kmがすごく長い感じがしたのだが、キロ5分ペースで走ればあと20分、あと15分と考えて、その間、心を無にするようにした。音楽を聞いてパワーをもらおうと思ったが、信号機のせいかノイズが多く、聴いていられない。普段から、無の境地の練習をしておけばよかったと思った。

 

随分前に40km走ったとはいえ、1年以上前の話。このところ仕事で忙しく、30km走も敢行できず、普段走らない距離を走れば限界に達するのは当たり前だ。もう肉体の苦痛を忘れてゴールを目指すしかない。

 

今自分はどこを走っているのだろう。なぜ大井町に向かっているのだろう。折り返しはまだか。早く日比谷に向かっていきたい。そんな自問自答が続く。

 

最後の折り返しを耐え、やっと有楽町の石畳に入った時は、もうすぐ解放されると思った(しかしこれが意外と長い)。自然とペースも上がる。最終コーナーを曲がった時は、天国のゲートかと思ったよ。レース中、ゴールで初めて手を上げたとき、あまりの寒さで肘が凝り固まっていたことに気がついた。(これが、あとで肘痛の原因になったと思われる)

 

SEIKOの時計が見えた。3時間45分。やっぱりサブ3.5には届かなかったが、意外とペースは落ちていなかった。

 

 

 

 

(つづく)