Papa was a charan poran

Poetic running and something

久々の夜ランにハマる

5月14日(月) 晴れ

 

今日はあれこれと忙しい1日だった。しかも暑い。

 

自分の仕事もほとんどできずに帰宅。

 

帰宅後、急かさないといつまでも飯を食べない子供たちを急かして飯を食わせて布団に入らせ、自分が風呂に入る前になんか走りに行きたくなった。

 

冬からGWに入るまで、どうも晩酌がやめられずにいたのだが、気温が上がってきたら途端に酒が恋しくなくなったのである。私は日本酒もワインもウヰスキーも焼酎も常温で飲むタチなので、冬は体が温まるからつい飲んでしまうのだが、暖かくなってくると特に酒を飲む必要性を感じないのである。冷えたビールは確かにうまいが、涼を取るためならアルコールが入っていない飲み物のほうが気分が良い。夏は酒よりも走った後の冷たい麦茶がうまいしシャワーが気持ちいい。シャワーのために走っているといっても過言ではない。

 

加えて、テレビで大腿骨頭壊死の番組を見て、気分的にビビったというのもある。私の知り合いでも大酒飲みだった人間が二名ほど、この病気にかかって手術をし、酒を飲めなくなってしまったばかりか、歩行にも支障が出た。私は飲みだすと酒がなくなるまで飲んでしまうので、この手の病気になる可能性大である。

 

さて、久しぶりの夜ランで、記録によると12月以来のようだ。しかも、夕食後に走るのは滅多にないことだが、今は夕食後(末娘の就寝後)ぐらいしか走る時間はない。風呂に入る前にたくさん汗をかいて、帰ってから風呂に入れば洗濯物も少なくて済む。

 

久しぶりに府中の森公園に行ったが、ここを走るときは自然とペースが上がる。21時過ぎだったが、結構走ったり歩いたりしている人も多い。このところ、日中走るときはゆっくり距離を稼ぐためにピッチ走法で走るようになっていたが、久しぶりにストライドを大きくしてみた。それなりにしんどいが、風が気持ちいい。

 

 

実際のタイムは39分52秒ぐらいである。最近、走っている間にRunkeeperの画面がフリズしてしまい、止めたいときに止めることができない。計測自体はされているのだが、これでは正確な時間を測ることができない。

 

それに対して、トライアスロンを引退した父親からもらったお古のSeiko Super Runnersはバックライトもあるし、ストップウォッチとしては十分使えるし、走りながらどれぐらいの時間走ったかすぐわかるのが時計のいいところ。

 

5月17日(木)

帰宅後ラン。夜走るのは、人目をあまり気にしなくてよいので気分的にも楽。

今まで、夜走るのは早く帰宅できた時に限ってきたが、夕食後に走るのもダイエット的には良いかもしれない。ただ、食後30分ぐらいだと、気持ち悪くなるときもある。

今日は10時ちょっと前に走りに出た。府中の森公園には人はいないだろうと思ったが、走っている男性は意外といる。

5月18日(金)

朝。ところどころ、あじさいが色づき始めている。日当たりのいい場所にあるやつはもう完全に色づいているものもある。

これは職場に一番近い日陰者たち。

あんまり早く陽に当たると、早くダメになっちゃうよ。遅咲きぐらいがいい。(セルフ慰め)

 

夜、職場での出来事からメンタル不調を来す。

 

5月19日(土)

 

朝、目覚めてもスッキリしない。昨夜から頭痛と動悸がする。

 

午後からの研究会は休んだ。

 

休んでいても、休まらない。いろんなことがパニックのように頭の中に押し寄せ、動悸、吐き気、頭痛が少しずつ。

 

国際学会の発表で使う写真も撮りたかったので、多磨霊園の外人墓地に行った。ここは誰もこないし、タタール人たちのお墓を見ているとなぜか心が和む。いまは酒も欲しくないし、私もムスリムになっちゃおうかなと思う。神様のためにだけ生きることができたなら、世の中の悪しき人たちとのしがらみや、ちまちました悩みから解放されて、きっと苦しみが軽減するだろう。しかし刑法的なことを考えるえと慎重になってしまう。一度入信したら、改宗はできないし。

 

夕方になったらだんだん気持ちが落ち着いてきた。それって典型的に鬱だよな。

 

走ったら治るかと思って夜走ってみた。

 

走っている間は頭が空っぽになったが、そのときだけで、しばらくすると鬱になった。そうたやすくメンタル不調からは抜け出せないようだ。

 

5月20日(日)

これまた珍しく午前中に走りに行った。

 

野川沿いを走っている人の多いこと。日曜の午前ってこんなにいるんだ、という驚き。東京の人はおでかけするとき動きが遅い(だらだらと昼過ぎに来て混み合う)というイメージだったが、走る人は午前走って、午後はお出かけという感じだろうか。

 

5月21日(月)

土、日と走って、少しメンタルの調子は改善したような気もするが、出勤することを考えると、頭が痛いというか首の方まで力が入らず、背中がムズムズする。職場に行きたくない。

 

人間関係をドライに考えることにして、昼飯もデスクで済ませ、今日片付けたい仕事をやっていたら、あっという間に17時過ぎになり、月曜はいつも早く帰るということは宣言してあるので、さっさと職場を後にした。職場から出たらとても気分が晴れた。コーヒーもそんなに飲まなかったし、まだ頭痛がするものの、体調は良い。

 

帰宅後、また走りに出かけた。風呂に入る前に走るのが日課になりつつある。

 

5月22日(火)

今日も朝は同じような症状だった。しかし昨日のように仕事に集中すれば、なんとかやり過ごせるだろうと考える。しかし、今日は人が少ないこともあり、すこしだらけてしまい、昨日ほどはテキパキと進めることができなかった。

 

苦しい。精神的苦痛が肉体的な痛みに現れるんだということは、若い時は、恋人と別れるときとか、そんなときだけだったが、ストレスからくる苦しみが肉体的な痛みになるということは、40歳過ぎてから知った。胸が苦しくて、全身が尖ったもので擦られるような、そんな痛みだ。自分の肉体があるかぎり、こんな痛みから逃れることができないのなら、いっそ電車に飛び込んで死んでしまうのも悪くないと思えてしまう。電車に飛び込むというのは、なんの準備も必要でなく、一瞬の決断でできる。他の手段を選ばずに電車に飛び込んでしまう人の気持ちというのが、なんとなくわかる。

 

どうしようもなく、また今夜も走った。22時過ぎに走りに出て、府中の森から甲州街道を帰って来た。交差点で死ぬことはできなかった。

5月23日(水)

朝、着替えまでしたものの、頭がいたいのでとうとう休んだ。

Oさんに迷惑をかけるのが申し訳ないが、とても出勤する気分になれなかった。

流石に今日は走る気もせず、1日悶々と過ごした。

5月24日(木)

朝、市役所に行く用事があり、ついでに神社にお参りした。子供の受験の成功と、家庭の厄除け、父の病気のこと。

 

それから出勤した。今日はたくさん人がいる日だから緊張する。出勤すると、二人が気遣ってくれた。昨日、私が休んだので、きっとストレスで休んだのだと話題になっていたらしい。つまり、金曜になんらかの精神的打撃を受けたであろうということが、みなに知られているということだ。決して、休むことで体調不良をアピールしたいわけではないのだが、誰にも理解されないという気持ちから、結局はそういうことをしてしまっている自分がいる。

 

しかし、本当の意味で助けてくれる人などいないのがこの国ではないか。家族のため、自分がどうにかしないといけない。メンタル不調を前面に打ち出すことで、契約更改されずにクビになることを考えると、さらに頭が痛くなり、転職の2文字が頭をよぎるが、今のような条件で雇ってくれるところなどありそうもない。

 

昼は忙しいふりをして同僚たちとは食べず、また一人でデスクで食べた。

 

今日で断酒14日目を達成。

後で知ったが、先日は親分と職場の人で飲んだらしい。それで親分は帰れなくなってサウナに泊まったそうだ。

 

当たり前かもしれないが、今は同僚と飲みに行きたいという気持ちが全くない。